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2024年1月28日に天国に旅立った『セクシー田中さん』『砂時計』の作家・芦原妃名子さん。
TV局との間ではご自身の作品の映像化にて、制作陣とのトラブルから世間では大きな話題にもなりました。
そして”急死“というまさに衝撃の結末を迎え幕を下ろし、この出来事は終わった…かに思えました。
しかし5月31日にテレビ局の制作チームが、今回の経緯を調査したことで再び注目を集めていることが判明しました。
今回は芦原妃名子さんや、制作陣との間に起きたベールを探ってみようと思いました。
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芦原妃名子と制作陣に起きたトラブル!
芦原先生は2023年10月クールに放送された実写ドラマ『セクシー田中』の原作者です。
(過去の作品では社会現象にもなった名作『砂時計』の原作者でもあります)
その『セクシー田中』の実写制作において6月上旬の時点で「必ず漫画に忠実に」する。そうでない場合は作者自身が加筆修正するという条件を付けていた。
さらに終盤は先生自身がセリフや内容を用意し、原則変更しないと条件を付け加えていました。
当然制作陣も、この条件は飲んでいたハズです(※そうでないと実写自体中止になっていました)
一部では少しスタッフ陣が困っていた状態である事も、噂になっていました。
そしていざ始まると内容が大幅に変更の脚本が作られ、作者は変更せずそのままと強く希望し結果的に1~7話まではほぼ忠実に作成された。(※8~10【最終回】はオリジナル内容)
だがこの時点でも「疲労」の声がスタッフ内で相次いでいました。
そして脚本を担当していた『相沢友子』先生は降板してしまい、最終回も作者自身の要望にてご自身が執筆するという形でドラマは終幕する。
もしかしたら原因の一つ(全部ではないが)が、今回の制作陣とのトラブルが原因なのかもしれません。
原作にはないアレンジやオリジナル要素をつけてみたい制作陣と、原作に(もちろんストーリーやキャラクターなどに意味があった為)こだわった作者。
どちらも作品愛が強かった為に、起きてしまったことなのかもしれません。
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芦原妃名子がなぜ死を選んだか?
芦原先生は1月28日に亡くなった死因はなんと、『ダムからの飛び込み』であった。
実は生前1月26日に原因不明の失踪している事が判明されており、連絡及び詳細も至っては謎になっていました。
それから3日後に亡くなった翌日(29日)に地元の栃木県日光市にある【川治ダム】で遺体となって発見されました。
さらに自宅からは遺書も発見されており、数行ではありますが明確な内容も書かれていました。
遺体も親族の確認を含めて、これにより自ら人生に幕を下ろすという結末をむかえました。
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芦原妃名子がダムを選んだ原因を調査!
芦原先生の地元で栃木県日光市にある【川治ダム】は、実は当人以外にも過去に飛び込みを行い同じ結末を迎えたことで地方では有名な箇所でもありました。
なぜ最期の場所をダムに選んだのかは公表されていない為不明ですが、地元だという事も理由のひとつかと思われます。
もしかしたら「探さないでほしい、忘れて」という遠回しなメッセージだったのかもしれません。
先程の制作陣との様々な悩みのほかに、このご時世SNSが普及の時代。
そんな中メディアから”書き込み”などで傷ついたり、精神的にもツラかったのかもしれません。
芦原先生のように才能ある売れっ子作家がこのような形で、永遠の別れをしてしまうことは本当に残念でなりません。
今更ながら心より御冥福をお祈りいたします。どうか安らかに眠って下さい。
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まとめ
今回は芦原妃名子さんや、それらに関する出来事をまとめてみました。
確かにもうこの世を去った故人ではありますが、その人が残したものは『作品』など多く存在します。
だからこそ、ヒトが再び動き出したのかもしれません。
それに全てにおいて言えたことではありますが、やはり社会で人が生きていくなか人間関係は本当に大切です。
皆様も日頃から周囲の人達に感謝と愛情を持って、大切にしましょう。
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