2024年5月20日にご逝去された『増山江威子』さん。かつてはアニメ【ルパン三世】の峰不二子役(二代目)など多数の作品で活躍されたベテラン声優。
その存在はまさに唯一無二の存在でした。
現在も『ルパン三世』の主人公:ルパン役を演じている【栗田貫一】さんが、
引き継ぎする前から既に活躍されて感銘を受けたお相手でもありました。
以前はメディアに出演されていた増山さんは、なぜばったりと姿を見せなくなったのでしょうか?
増山江威子の若い頃は素顔の出演をしていた!
以前は『顔出し』もされてた!?
声優をされているイメージが強い増山さん、実は若い頃にはテレビ出演もされていました。
いわゆる女優業=顔出しのメディアに姿を出されていたこともありました。
今の時代にも定番ではありますが、一部の番組やコーナーで知られるゲスト出演などによる紹介にも出されていたことがありました。
演技との出会い
元々増山さん自身が児童劇団(いわゆる子役)の出身者でした。
幼い頃に話しかたを大人に指摘されて以来、コンプレックスを抱く様になってしまう。
それを克服する事と、もうひとつは12歳のときに肺病を患い『バレリーナ』の夢を諦めました。
そのとき新しい夢を持ちたいと思い義兄(姉の主人)の紹介を得て、児童劇団に所属されました。
そこでレッスンや指導を受けていく内に、だんだんとコンプレックスであった話しかたを克服していきました。
さらに自然と演じるということに興味を持つようになっていきました。
演技から声優へ
15歳に『児童劇団』からほぼ同世代の人達と共に『劇団山王』立ち上げる。
数年後に「女優が少ないから」と懇願され自身は『劇団四季』へ(当時)移籍する。
テレビ出演や海外作品の吹き替え・さらにラジオドラマやアテレコの仕事をこなす内に【声の仕事】に興味を持ち始める。
それからは家庭や育児などプライベートが不規則な時間を避けるため、「声の仕事のみに集中」と声優業に専念しようと決意する。
増山江威子は最近メディアを控えた意外な理由!
先程の記述通り、かつてはテレビ出演などをされていました。
しかし近年では「視聴者や世間が知ってる私の声はハニーや峰不二子のような若い声」
「そういう若いキャラクターのイメージを壊したくない」という理由で顔出しを控えていたのであった。
ある意味『視聴者の夢と理想』を守りたい、増山さんの優しさだったのかもしれません。
『声』に関しては2000年前半の時点でも未だに【若い系のキャラクター】が多く、逆に年寄り役がほとんどこない事も悩みでした。
歳を重ねると少しずつ声質が衰えていく為、音程を維持するトレーニングがかなり大変であったと述べています。
ときには【子供の役】が回ってくることもあり、いつ『若い役のオファー』がくるか”ある意味”不安な生活でもあったらしい。
もしかしたら『いざ』という時に、そのキャラクターの声が人前で出せる自信がないと自負されていた?
だから徐々に控えていった、という仮説も成立します。
増山さんのイメージやハマり役が既に定着されていた為、これも『ひとつの運命』だったのかもしれません。
もうひとつ『声』に関するエピソードとして、増山さん自身は『絵(画)が主役』という主観の持ち主でした。
「絵があるからこそ、声もピッタリと合う」という自身の経験を語っている。
そのため依頼やムチャ振りなどで「〇〇の声をお願いします」と言われるのが、苦手という意外な一面を持っていました。
増山江威子の運命の出会い!
実は若い頃に意外な人物と出会っていました。
それは児童劇団時代に引率で『劇団東童』の見学をした際、王子様役を演じた”俳優“に憧れ「あの人と同じ舞台に立ちたい」と思った。
その俳優こそがベテラン声優『納谷悟朗』さんであった。
ご存知のかたはいらっしゃると思いますが、納谷さんは同じ【ルパン三世】で『銭形警部(初代)』を演じていました。
ですから増山さんとは実に40年近く同じ作品で共演されており、まさに【運命の出会い】のひとつでした。
そして原作者である【モンキー・パンチ】先生との出会いもひとつの運命です。
追悼にて、「私の財産となった『峰不二子』に出会えたこと。先生には感謝してます」とあたたかい言葉でお別れしました。
まとめ
今回は『増山江威子』さんについてまとめてみました。
増山さんのような素晴らしい声優・女優にも悩みや人知れずの努力を抱えていた。
だからこそ何十年に渡っても沢山の人達から愛され、尊敬し続けてこられた人間だと思いました。
御冥福をお祈りいたします。長い間たくさんの作品をありがとうございました。どうか安らかに眠って下さい。
皆様は如何でしたでしょうか?
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