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小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!

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2024年5月2日に3年B組金八先生(TBS)などを手掛けた脚本家・小山内美江子さんがご逝去されたことが判明しました。

小山内美江子さんといえば世間では【金八先生】を始め、数多くの作品の脚本を携えてきたことで有名です。

一般のドラマだけでなく、中には特撮系の作品も手掛けた実績があります。

しかし実は過去に映画監督を目指していた時期があり、その後は脚本家に転身され見事成功を収めました。

今回は脚本家・小山内美江子先生についてまとめてみようと思いました。

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小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!

先程にも少し触れましたが、小山内美江子さんは実は元々【映画監督】を目指していました。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://www.sankei.com/article/20240407-RX5XNL7T4FGNHGXVREP3IVONAM/

その時の夢を叶えるべくして神奈川県鶴見高等女学校を卒業後、1951年東京スクリプター協会会員として映画製作に参加する。

※推測ですがこの時に映画の素晴らしさ、制作するやりがいなどを感じて『この道』に進もうと決意されたのでしょう。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://www.jiji.com/jc/d4?p=snr100-jpp01383715&d=d4_rr

しかし当時は戦後直後のなかで”女性が映画監督“が認められず、断念していまいました。

さらに【助監督】にもなれずにやむを得なかったことだったと思います。

しかしそれでもこの業界に携わりたく【記録係】として10年間必死で勉強し働き続けました。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://www.kanaloco.jp/news/international/entry-5070.html

今のように”垣根”が薄れてた時代や風潮ではなかったのでしょう。

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小山内美江子が脚本家になった真相が衝撃だった!

小山内美江子先生が脚本家の道を選んだのは撮影現場で、監督のそばで映画(やドラマなど)に携われると踏んだのでしょう。

それからご縁があり【結婚・妊娠・出産】を機に、【脚本家】に道を進みました。ちなみに出産した長男は俳優・監督の『利重剛』である。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://smart-flash.jp/entame/84672/2/1/

1962年放送のTVドラマ『テレビ指定枠』(NHK)の【残りの幸福】にて脚本デビューを飾る。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1163392?display=1

その後は数多くの作品を手掛け、あの名作【3年B組金八先生】シリーズを始め【教育】や【子育て】をテーマにした題材がいくつか存在する。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/09/27/gazo/20230927s00041000576000p.html

(※『金八先生』の脚本は第7シリーズの第11話を最後に降りたことを当時発表する。

この頃から既に持病を患っており執筆するにも文字通り【命懸け】だったと供述していました。)

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130520-OYTEW61883/

さらに最初の冒頭でも少し触れましたが、以前は特撮系の作品も何本か執筆された実績を持つ。

特に『円谷英二』(現・円谷プロダクションの創設者)が手掛けた初作品『ウルトラQ』では、企画段階から打ち合わせに参加していたこともある。

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小山内美江子の功績!

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://www.nikkansports.com/entertainment/photonews/photonews_nsInc_202405100000975-0.html

受賞歴

  • 1995年:日本女性放送者懇談会賞
  • 1996年:第8回ザテレビジョンドラマアカデミー賞・脚本賞『3年B組金八先生』
  • 2001年:エイボン女性大賞・橋田寿美子賞・菊島隆三賞
  • 2002年:山路ふみ子賞・赤い靴児童文学賞
  • 2003年:尾崎咢堂賞・カンボジア王国黄帯賞
  • 2006年:モニサラポン勲章大綬章
  • 2007年:横浜文化賞
  • 2008年:毎日国際交流賞

また小山内先生は『ボランティア活動』にも、精力的に実践されていました。

きっかけは90年に台湾危機が勃発後にヨルダン難民キャンプの際に、初めて【海外ボランティア】を経験したことでした。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:http://www.jhp.or.jp/about/greeting/

91年に『カンボジア和平協定』にて訪れた際、焼け果てたホテルの窓からみた景色がとても日本では想像出来ないほどの壮絶な光景でした。

その時に「とにかく教育だ、学校を作ろう」と密かに思い、行動を起こしました。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://jisin.jp/domestic/1623200/

当時は300万ほどで1校(5教室)で可能でしたが、国の復興とともに物価が値上がり700万相当に跳ね上がりました。

小山内先生は一部のかた達からも援助を受け自身を含めて、大金を寄付されたという素晴らしい奉仕をされたこともありました。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/373ac711e5a7

93年に『カンボジアのこどもに学校をつくる会』(97年に『JHP・学校をつくる会』に改称)を設立されました。

こうした本業以外にも活動されているまさに素晴らしい人間でした。

各著名人からの追悼

各著名人の方々からも沢山のコメントが、寄せられている事から愛情深い人柄だと思います。

その一部をご紹介したいと思います。

小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://www.agara.co.jp/sp/article/372937

鶴見辰吾「小山内先生は、恩師であり、母であり、心の羅針盤たる人でした。 何十年も前に出演した金八先生の生徒役のみんなをいつまでも、お気にかけていてくださいました。 カンボジアに学校を作る活動にも尽力なさりました。たくさんの愛情をいただきありがとうございました。 心よりご冥福をお祈りいたします」

引用先:https://www.agara.co.jp/sp/article/372937
小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://www.agara.co.jp/sp/article/372960

風間俊介「兼末健次郎という役を演じさせて頂かなければ、今、この仕事をしていません。それは間違い無いです。多くの仲間にも出会いました。『俳優』という職業につくきっかけを与えて頂きました。本当にありがとうございます」

引用先:https://www.agara.co.jp/sp/article/372960
小山内美江子は若い頃の夢は映画監督!脚本家になった真相が衝撃だった!
引用先:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/02/12/kiji/20230212s00041000714000c.html

上戸彩「小山内先生、ただただ悲しいです。寂しいです。会いたいです。金八先生のオーディションで打ちのめされていた私に、”鶴本直”という役を与えてくださったのが小山内先生でした。あのときに経験させていただいたすべての出来事が私の糧となり、それは今でも確かに私を支えてくれています。先生とはずっと文通をさせていただいていましたね。そのお手紙の一通一通が私には一生の宝物です。金八先生の撮影時は叱られることがほとんどだった私ですが、いつの日か先生に褒めていただけるようなお芝居ができるよう、これからも芝居に真摯に向き合っていきたいと思います。小山内先生本当にありがとうございました。そして、ゆっくり休んでください。心よりお悔やみを申し上げます。」

引用先:https://news.yahoo.co.jp/articles/2a44ac20054850f55b8fedd70760620ad0130a31

小山内先生に出会えなければ、今の著名人はスターになっていなかったかもしれません。

ある意味、人生の道しるべにもなった存在だったといっても過言ではありませんでした。

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まとめ

今回は脚本家・小山内美江子先生についてまとめてみました。

脚本は描く『先生の人間性』も問われ、作品全体のストーリーにも多大な影響を与えるほどの存在。

もし小山内先生が映画監督になっていたら、これまでの名作も誕生しなかったかもしれません。

安らかに眠り、御冥福をお祈りします。皆様はいかがでしたでしょうか?



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この記事を書いた人

・元・生粋のTVっ子。時間があればTVやネットを
 常に365日鑑賞してます。
・ライティングが夢中になる程楽しく、
 好きなエンタメ系や、トレンドの情報も発信したい為
 ブログを開設しました。
・86年生まれ北海道出身、学歴は高卒まで。
 現在一応社会人。
 多趣味な人間:料理、撮影、ファッションなど。     
 その中でもやはりエンタメ系(アニメ・映画・
 音楽・ドラマ)が幼少期から今現在まで大好き。
・約三ヶ月間、Webライターのレッスンを受けた
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